2008年02月26日
お東騒動、対立の根底
このような伝承があること初めて知りました。
本当に興味深い言い伝えばかりです。
「お東騒動」の原因となった教団のあり方をめぐる意見の対立の根底には、近代社会における全く異なる方向性を持つ次の2つの動きがあった。
体制面における宗教的権威者への伝統的尊崇の念に基づく権限の集中。
教学(思想)面における個々人の自覚を重視する方向性の高まり。
大谷家当主への権威・権限の集中
真宗大谷派では、明治時代以降、歴史的な経緯もあって、宗祖親鸞の血筋を引く大谷家の当主が、次の3つの地位(「三位」と呼ばれる)を一元的に継承・掌握し、高い宗教的権威と強い権限とを有していた。
法主
真宗大谷派の正統的な教学・伝統の顕現者
管長
宗教法人真宗大谷派の代表役員
本願寺住職
真宗大谷派の本山である「宗教法人本願寺(通称 東本願寺)」の代表役員
当時は、「真宗大谷派」とその本山の「本願寺」は法規上、別法人であった。
また大谷家は、(本来は門徒からの懇志である)本願寺の財産も、その絶対的権力から私物視していた。後に、「多額の債務」や「土地の売却益の行方」などの問題が表面化する事となる。
権威・権限が集中した理由
明治時代以降の真宗大谷派においては、清沢満之らの登場により、個々人の宗教的自覚を重視する、近代的な「個」の形成にも対応し得る教学思想の研鑽が早くから進められた。しかし一方で宗派の体制としては、宗教的権威者として伝統的に尊崇されていた法主を推戴し、そのもとに強い権限を集中させる体制がむしろ強化されていた。
こうした体制が構築・強化された背景には、江戸時代に緊密であった幕府との関係を払拭し明治政府の政策に積極的に賛助することや、数度にわたって焼失した本願寺の堂宇を再建することが差し迫った課題であったことが挙げられる。
個々人の自覚を重視する教学思想の形成
第二次世界大戦後の1960年代になって、「近代的な教学思想の成熟」と「当時の社会的変動への対応の必要性」が求められるようになる。 その結果として、次第に従来からの教団の体制が問題視されるようになる。
「お東騒動」と称される真宗大谷派における対立状況は、上に述べたような近代日本における体制面と思想面での二つの動きが、同一宗派内において同時期に集中的に展開した結果、いわば必然的に表出したものであったともみなされる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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